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仙台地方裁判所 昭和45年(ワ)585号 判決

原告

大場正也

被告

宮城交通株式会社

ほか一名

主文

一  被告会社と被告石川は連帯して原告に対し金六七七万二、六四二円及び内金六四七万二、六四二円に対する昭和四五年七月二一日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告石川は原告に対し金二万五、〇九六円及びこれに対する昭和四五年七月二一日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

五  この判決の第一、第二項は仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告らは各自原告に対し金八八四万一、八〇九円及びこれに対する昭和四五年七月二一日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告ら訴訟代理人は、請求棄却の判決を求めた。

第一原告の主張及び被告らの主張に対する反論

一  請求原因

(一)  被告会社は一般乗合旅客自動車運送事業を営み、被告石川は同会社に被用され同会社の所有する一般乗合旅客自動車(大型バス)の運転業務に従事しているものである。

(二)  交通事故の発生

(1) 日時、場所……昭和四二年七月一二日午前八時二八分頃石巻市双葉町本草園バス停留所の南方にある交通整理の行なわれていない交差点、

(2) 加害者及び加害車……被告石川運転の被告会社保有にかかる大型バス(宮二く二四一六号)、

(3) 被害者及び被害車……自動二輪車(宮あ四〇八号、以下オートバイという)運転の原告、

(4) 被害の部位、程度……頭蓋内出血、右側頭骨複雑骨折、右下腿骨粉砕性骨折、頸椎捻挫、左大腿部切断、

(5) 衝突の部位、程度……バスの前部とオートバイが衝突し、オートバイは破損した、

(6) 衝突の態様……バスが石巻駅方面から石巻市門脇町方面に通ずる道路を東進し、同市双棄町本草園の交差点手前の停留所に一旦停車して乗客を下車させた後、交通整理の行なわれていない右の交差点を波除方面に向け右折しようとした際、対向方向から進行してきたオートバイと衝突したものである。

(三)  事故責任

被告石川はバスを波除方面に右折させようとした際、西進してくる原告の運転するオートバイを認めたのであるから、原告の進行を妨げてはならず、一旦停止して原告のオートバイが通過するのをまつて発進すべき業務上の注意義務があるのに、同被告は原告のオートバイが到着する前に右折を完了し得るものと軽信して、漫然右折を強行した過失に因り本件事故を惹起したものであつて、本件事故責任は総て同被告にある。

(四)  賠償責任

被告会社は加害バスの保有者として自動車損害賠償保障法第三条本文により、また、被告石川は直接の加害者として民法第七〇九条により原告が本件事故に因り被つた損害を賠償すべき責任がある。

(五)  損害額

(イ) 損害額発生の根拠

(1) 原告は事故直後に石巻市所在の佐藤外科病院に入院し、一〇数日に亘る意識不明の期間を経過した後手術その他の治療を受けて昭和四三年二月一五日一旦退院したが、同年三月二一日から同年八月一〇日まで同病院に再入院した。その後、原告は同年八月一二日から同四四年五月二七日までの間東北労災病院に一ケ月二回の割合で通院加療すると共に、これと並行して石巻市所在の中目整形外科病院に三日ないし七日おきに通院して同四四年九月三〇日まで加療したが、なお経過がおもわしくなかつたため、更に、同四五年二月九日より同年五月四日までの間、一週間に一回の割合で中目整形外科病院に通院加療し、辛うじて九死に一生を得た。

(2) 原告は事故当時満二七才三月(昭和一五年三月二九日生)の心身ともに健康な男子であり、同三三年三月宮城県立石巻商業高等学校を卒業して直ちに東北パルプ株式会社(現在の十条製紙株式会社)石巻工場に入社し、事故当時は同工場の第一製造部コート紙課に勤務して基本月給金三万一、一三〇円のほか家族手当、住宅手当などの支給を受けていた有能な技能職員であつたところ、本件事故により昭和四二年七月一三日から同四四年八月二〇日まで休職となり、同月二一日に同工場へ復職することができたものの、最早技術方面の業務には到底たえないところから現在は同工場の業務部製品課に所属し、事務職員として製品倉庫係を勤めて今日に至つている。

(ロ) 積極的損害は金一四七万六、八一二円

その内訳

(1) 医療費は金六五万〇、〇六四円……但し、内金五九万五、三七四円は原告が加入している十条製紙健康保険組合が負担したので、自己負担は金五万四、六九〇円である。

(2) 栄養費は金五万二、四九〇円、

(3) 付添看護料は金四九万五、七〇〇円、

(4) 医師、看護婦などに対する謝礼は金三万八、〇〇〇円、

(5) 交通、通信費は金二万〇、八六〇円、

(6) 温泉療養費は金一万六、〇一三円、

(7) 雑費は金一六万二、一一五円、

(8) 物損は金四万一、五七〇円、

(ハ) 得べかりし利益の喪失は金六六九万四、五六四円

その内訳

(1) 休業期間中の逸失利益は一三九万一、四三〇円、

その詳細は別紙第一記載のとおり

(2) 復職後より定年退職に至るまで(原告が満五五才に達すべき昭和七〇年九月二〇日まで)の間における逸失利益は金五三〇万三、一三四円、

その詳細は別紙第二記載のとおり

(ニ) 慰藉料は金一五〇万円

原告がもはや昔日の姿に立ち帰えることのできなくなつたことは言うまでもなく、現に右下腿長管骨変型なる後遺症があつて一二級と認定されており、勤務先でも軽作業しか従業することができず、父の代から耕作している畑一反四畝歩(旧尺貫法による)の耕作もできない状態である。特に事故当時婚約中であつた原告は、これにより婚約を破棄され、一方原告の母は事故のシヨツクで一ケ月余も病床に臥すなど、原告が右事故に因り被つた精神的打撃は筆紙に尽しがたいほどであるから、慰藉料は金一五〇万円を下るものではない。

(ホ) 弁護士費用は金四〇万円

原告は本訴の提起、遂行を本件原告代理人に委任し、その着手金一〇万円を支払つたほか、成功報酬として最低金三〇万円を支払うことを約した。

(六)  賠償額

(イ) 原告は十条製紙健康保険組合に医療費金五九万五、三七四円を負担して貰つたほか(第(五)の(ロ)の(1)参照)、同組合から傷病手当として金一一万四、一三八円及び被告会社から損害賠償の内入金として金六〇万円、以上合計金一三〇万九、五一二円の補償を受けた。

(ロ) 右補償額を前示損害額から控除すれば賠償額は金八七六万一、八六四円となる。

よつて、原告は被告ら各自に対し金八七六万一、八六四円とこれに対する本訴状副本送達の日の翌日たる昭和四五年七月二一日より完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める(因みに、請求趣旨の請求額と請求原因の請求額とに相違があるのは原告が請求の一部取下を申立てたのに対し(第一一回口頭弁論期日における昭和四八年七月六日付準備書面陳述参照)被告らがこれに同意しなかつたためである(第一四回口頭弁論期日における同四九年三月一一日付準備書面陳述参照)。

二  被告らの後記主張に対する認否及び反論

(一)  認否

第(一)項の(イ)の(1)のうち被告石川が本草園バス停留所を発して間もなく本件交差点に差しかかり、波除方面に向うべく、時速約一〇キロ程度で右折を開始したこと、及び右折の際原告の運転するオートバイを認めたことは認めるが、その余の事実は総て否認する。

同項の(イ)の(2)は否認する。

同項の(ロ)の(1)、(2)、(3)のうち、オートバイのスリツプの痕の長さは認めるが、その余の事実は否認し、改正前の道路交通法第三七条第二項、第四二条の解釈は争う。

第(二)項は否認する。

(二)  反論

(イ) 被告石川は右折開始の際、原告運転のオートバイを認めたものの、オートバイとの距離、オートバイの速度に鑑みて、バスの右折が安全か否やについての判断を誤り、漫然と右折を強行した過失に因り本件事故を惹起したものである。

(ロ) 被告石川運転のバスは右折開始の状態にあつて、既に右折している状態とは言えないものである。

(ハ) 原告は、被告らの主張するがごとき猛スピード走行していたのではなく、制限速度内の時速五〇キロないし六〇キロで走行していたものである。本件事故発生当時は、雨天ではなく、道路が乾燥していたものであり、かかる状況下のアスフアルト道路におけるオートバイのスリツプ痕は時速六〇キロで二〇メートル、五〇キロで一五メートルであるから、被告らの主張するバスとの衝突によるスリツプ痕の中断を考慮しても、オートバイの時速は五〇キロないし六〇キロであつたものと看るのが相当である。

(ニ) 改正前の道路交通法第三七条第二項は同条第一項との関連において解釈されるべきものである。そうでなければ、右折しようとする車両は、対向方面から直進してくる車両を認めても、敢えて右折を強行し、既右折状態に達してしまえば、間近に接近する直進車を妨げても差支えがないこととなり、直進車優先という第一項の存在意義を全く没却するに至るからである。されば、第二項は直進車が未だ第一項の適用を受ける状態に至らない間に既右折状態に入つた車両がその後に発生した新たな事情により右の状態のまま直進車の進路上に止まらざるを得なくなつた場合に適用されるものと解すべきであり、かく解することにより第一項と第二項とは矛盾なく理解されるのである。ところで、直進中に自己の進路上に障害物を発見した運転者は運転の条理上当然に、これとの衝突を回避すべき義務があり、それは交差点の内外を問わないから、結局、第二項は当然のことを規定したに過ぎないこととなる。然るに、第二項は現実には接近する直進車を認めながら、強引に既右折状態を作出した右折車に、直進車に優先するなどという不合理な言いがかりを与える根拠にしばしば使用されてきたところから昭和四六年の道路交通法の改正の際、第二項は削除されるに至つたのである。また、

改正前の道路交通法第四二条は、交通整理が行なわれていず、且つ左右の見とおしのきかない交差点では車両は、優先権があると否とを問わず徐行しなければならない旨を定めていたが、これは優先通行権を有する車両の安全を保障するゆえんでなかつたので、昭和四六年の道路交通法の改正の際、現行法のごとく改められて優先通行権が保障されるに至つたのである。

これを要するに、被告らの改正前の同法第三七条第二項、第四二条の解釈は法の趣旨を誤つて解しているものであるから、それに基づく主張は総て理由のないものである。

第二被告の答弁及び主張

一  請求原因に対する答弁

第(一)、第(二)項は認める。

第(三)、第(四)項は否認する。

第(五)項の(イ)の(1)のうち、原告が辛うじて九死に一生を得たものか否やは不知、その余は認める。(2)のうち、原告が有能な技能職であつたこと及び原告の休職期間は不知、その余は認める。

(ロ)、(ハ)は不知。

(ニ)は争う。

(ホ)は不知。

第(六)項の(イ)の補償金額は認めるが、その余は不知。(ロ)は争う。

二  主張

(一)  被告石川にはバス運転上に過失がなく、仮に過失があるとしても、それは極めて軽微のものであるのに対し、原告のそれは重過失であるから、本件事故は原告の重過失に基因して発生したものというべきである。

(イ) 被告石川の過失の有無

(1) 被告石川は、本草園バス停留所を発して間もなく本件交差点の北西端に差しかかり、右折して波除方面に向うべく、前方を注視したが対向車がなく、後続車のないことも確認したので、時速一〇キロ程度の速度で序々に進路を右にとり数メートル進行した際、門脇町方面から石巻駅方面に向け進行してくる原告運転のオートバイを認めたものの、バスとオートバイの距離が通常ならオートバイが交差点に差しかかる以前にバスが悠に右折を完了し得るほど離れていたところから、そのまま約一・〇〇メートルないし二・〇〇メートル右折前進し、既に四五度以上も右折したところ、オートバイがバスの前度左端より約五九・〇〇メートルの距離を猛進してくるのを認め、衝突の危険を感じて急停車の措置を講じ、約四メートル右折前進して停車したが及ばずにオートバイがバスに衝突するに至つたものであり、本件事故は被告石川の過失に因り発生したものではない。

(2) 仮に、被告石川に何らかの過失があるとしても、それは次に述べる原告の過失に比すれば極めて軽微なものであつて、その割合は原告の過失が八〇パーセント、被告石川のそれが二〇パーセント程度と看るのが相当である。

(ロ) 原告の過失の有無

(1) 先ず、原告は前方注視義務を怠つていた。このことはオートバイのスリツプ痕がバスとの衝突地点まで約一一・九〇メートルに亘つて残存していることに鑑みれば、原告はバスと衝突する直前まで右折中のバスを認めていないこと明らかであつて、そのため交差点において既に四五度以上も右折しているバスの進行を妨げ、もつて事故当時施行されていた道路交通法第三七条第二項に違反したものである。

(2) 次に、オートバイの速度は制限速度を遙かに越え、その最高時速一四〇キロに近いものである。前記スリツプ痕はバスと衝突したため約一一・九〇メートルに止まつているけれども、仮に衝突していないとすれば、そのスリツプ痕は更に延長したこと明らかであり、おそらく最高時速一四〇キロに近い猛スピードで疾走してきたものと推測されるところであつて、これは事故当時施行されていた道路交通法第四二条所定の徐行を怠つたものである。即ち本件交差点のように、交通整理が行なわれていず、且つ左右の見とおしのきかない交差点においては、いつでも停止できる速度で進行すべきであるのに原告はかかる措置に出でず右法条に違反したものである。

これを要するに、原告は、前方注意義務を怠つていなければ右折中のバスを認めたであろうし、また、その速度もせめて時速三〇キロないし四〇キロ程度であれば、オートバイの進路を変えてバスの後方を通過するとか、或いは交差する道路の右又は左へ避難することができたのに、前方注視義務の懈怠と猛スピードが重なつて遂に本件事故が発生したのであるから、その事故責任は原告にある。

(二)  被告会社には自動車損害賠償保障法による賠償責任はない。

(1) 被告石川に事故責任のないことは右に述べたとおりである。

(2) 被告会社がバスの運行に関し注意を怠つていなかつたことは次のとおりである。即ち、

被告石川は事故発生当日の午前六時二一分勤務先である被告会社の石巻営業所に出勤し、運行管理者である引地郁夫に対し出勤した旨を報告し、同運行管理者から健康状態を問われるや異常なき旨を答えた後、既に出勤していた車掌門馬みつ子と共に車両の点検を始め、被告石川はバスの常用保安部(ハンドル、ブレーキ等)を丁寧に点検し、テールランプの点灯、ブレーキランプの作動状態を同車掌に確認して貰い、更に同車掌に運転席に着いて貰つてハンドルを動かし、車体の下からハンドルの遊びの状態を点検し、いずれも異常がなかつたのでその旨を運行管理者に報告し、次いで、同管理者から出発点呼を受けて(一般指示事項としては、運転手たると車掌たるとを問わず、乗務員であれば誰れでも行なわなければならない事項についての指示、例えば、乗客に対し「何時急ブレーキをかけるかもしれないので、すがり棒や吊皮などにつかまつて貰い度い」と言うような安全通告をするなどであり、路線別指示事項としては「路肩に乗入れないように、市内運行の場合は原則として追越しをしないように、追従する場合は追突防止のため十分に車間距離を保つように、一般に悪路が多くなつたので乗客に衝撃を与えないよう安全運転する」こと等の指示)発車したのである。

(3) 原告に事故責任のあることは先に述べたとおりである。

(4) バスに構造上の欠陥又は機能の障害のないことは前記(2)の点検により明らかである。

以上のように被告会社には前記法律第三条但書所定の免責事由があるので賠償責任がない。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  交通事故の発生

請求原因第(一)、第(二)項の事実は当事者間に争いのないところ、〔証拠略〕を総合すると、

(一)  事故発生当時における事故現場及び附近の状況、道路の幅員、距離関係、見透し状況、天候等は末尾添付の略図及びその註に表示したとおりであること(以下、東方の門脇町方面から西方の石巻駅方面に通ずる道路を東西道路、南方の波除方面から北方の泉町四丁目方面に通ずる道路を南北道路という)。

(二)  両車の衝突地点及び部位、程度は、交差点南側の波除方面に向う道路の入口附近、即ち、東西道路の南側県道の北縁を西方に延長した線の北方約一・三〇メートルの地点(略図表示のD点、但しD点はバスの前部ほぼ中央部分)でオートバイの前部とバスの前部ほぼ中央部分が衝突し、オートバイの前車輪は中破し、前照灯を破損のうえ、前車輪がバスの前部中央の車体下に突込み、バスはフロント、バンパー、フエンダーに凹損をきたし、ナンバープレートが外れたこと、そして両車両の停止地点が衝突地点であること。

(三)  オートバイのスリツプ痕が東西道路の南側歩道の北縁より約一・五〇メートル距てた地点を、衝突地点から東方へ約一一・九〇メートルに亘つて留めていること。

(四)  原告顛倒の地点は、交差点の概ね南西隅で、東西道路の南側歩道の北縁を西方へ延長した線のほぼ線上に頭部を東方に向け(略図表示のC点)足部を西方に向けて倒れたこと。

が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

二  事故発生の原因(事故責任)

(一)  〔証拠略〕を総合すると、

(イ)  被告石川は事故発生当朝本件バス(バスの前面上部の方向幕には「波除」と行先が表示されている)を運転して東西道路を東進して本草園前バス停留所(略図表示のA点)に到着し、そこで乗客を降ろして(波除方面行きの乗客がなく、乗客は皆無となつた)午前八時二七分頃右折の合図(当時はバスの外右側に設置されている赤色の腕木を上げる方法で合図していた)をしながら同停留所を発進し、時速約一〇キロ程度の速度で約一九・三〇メートル東進し、車体の前部が交差点の西側に設けられている横断歩道帯を越えて交差点の北西隅に差しかかる直前の地点で(その時のバスの右側車両の外側と東西道路の南側歩道の北縁との距離は約五・四〇メートル、以下同様につき距離だけを示す)、右折して波除方面に向うため、ハンドルを軽く右に切つて前方を注視したが、対向してくる直進車はないものと軽信し、(軽信したか否やは後に判断する)その後は主として後続車の有無及び波除方面から交差点に入つてくる車両の有無に注意を払いつつハンドルを深く右に切つて約四・〇〇メートル右折前進した際(その時の前示距離は約四・〇〇メートル)初めて東西道路を西下してくる原告運転のオートバイを発見したものの、オートバイが交差点に達する前にバスが波除に向う道路に入り得るのに十分な距離があるものと誤算し(実際にはオートバイはバスの東方約三二・四〇メートルの地点を走行していた)そのまま約一・七〇メートル右折前進したところ(その時の前示距離は約三・〇五メートル)、オートバイが約一七・七〇メートルの至近距離に迫つているのに気付き、遽に衝突の危険を感じて急停車の措置を講じたが及ばず、更に約三・七五メートルに右折前進して停止した瞬間、バスの前部ほぼ中央のバンパー、フエンダー附近とオートバイの前部とが衝突するに至つたこと(但し、右の事実のうち、被告石川が本草園前バス停留所を発して間もなく本件交差点にさしかかり、波除方面に向うべく時速約一〇キロ程度で右折を開始したこと、及び右折中に原告運転のオートバイを認めたことは当事者間に争いがない)。

(ロ)  他方、原告は出勤その他の用件で連日のようにこの東西道路をオートバイに乗つて往来しているので、事故発生現場附近の状況には通暁しているものであるが、事故発生当朝(当日は休日)略図表示の交差点の東方約八〇〇メートルの箇所に在る古藤野商店においてオートバイに給油して帰宅すべく東西道路を西下し、やがて緩やかに左にカーブする下り勾配を、道路の南側歩道の北縁より北方へ約一・五〇メートルないし一・六〇メートルの地点を時速約八八・二〇キロの速度(速度については後に算定する)で交差点に差しかかつた際、折から波除方面に向うべく右折進行中のバスに気付き急拠急停車の措置に出でたが及ばず、前示のごとく約一一・九〇メートルのスリツプ痕を跡してオートバイの前部とバスの前部ほぼ中央の下辺とが衝突するに至つたこと。

が認められ、〔証拠略〕中右認定に反する部分は容易に信用しがたく、ほかに右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(ハ)  そこで、右認定の事実に基づいて、先ず、オートバイの速度について考察してみるのに、バスの時速は約一〇キロであるから、秒速は約二・七八メートルと算定され、そして、被告石川が原告のオートバイを発見した際のバスとオートバイの実際の距離は約三二・四〇メートルであつて、更にバスがそれより約一・七〇メートル右折前進した地点におけるバスとオートバイの距離は約一七・七〇メートルであるから、バスが約一・七〇メートル右折前進するために要した時間は約〇・六秒強であつて(1.70÷2.78)その間にオートバイが一四・七〇メートル進行したこととなるから(32.40-17.70)オートバイの秒速は二四・五〇メートル(14.70×10/6)(従つて、時速は約八八・二〇キロ)と算定される。なお、オートバイのスリツプ痕が約一一・九〇メートルに留つているのは、オートバイがバスと衝突したためで、衝突しなければ当然にスリツプ痕は延長していた筈であるから、成立に争いのない甲第四八号証の一、二のオートバイの制動距離をもつて、原告主張のように、オートバイの時速が五〇キロないし六〇キロ程度であつたものとは倒底認めることができない。

次に、被告石川が直進車がないものと軽信した理由は、同被告は右折開始の地点より約四・〇〇メートル右折前進した地点でオートバイを発見しているので、右折開始からオートバイ発見までの所要時間は約一・五秒弱と算定されるところであるから、その所要時間とオートバイの前示秒速及びオートバイ発見時におけるバスとオートバイとの距離に準拠して、バスが右折を開始した時点におけるオートバイの走行地点を算出すると、オートバイはバスの東方約六九・一五メートルの地点を交差点に向け西進中と算定(24.50×1.5+32.40)されるところ、交差点のほぼ中心地点より東方に向け約一一六・六〇メートル附近までは見透し良好であつたことは前示認定のとおりであるから(前示一の(一)及び略図表示の(註)Ⅰの(4)参照)オートバイは被告石川の視界内にあつたにも拘らず、同被告はこれを看過しているので軽信の誹りを逸かれないものと言うべきである。

(二)  叙上認定の事実に鑑みれば、

(イ)  被告石川が、(1)バスを右折させるに当り前方を十分に注視していなかつたため、オートバイの西進中であることを看過し、直進車はないものと軽信して右折を開始したこと、(2)右折開始後は専ら後続車の東進の有無、波除方面からの北進車の有無に注意を払うの余り西進中のオートバイの接近に気付かなかつたこと、(3)オートバイを発見した時点におけるバスとオートバイの距離は約三二・四〇メートルの至近距離であつたにも拘らず、その距離とオートバイの速度を誤算して右折進行を強行したこと、に基因して本件事故は発生したものと看られるので、事故責任の大部分は同被告にあるものと言うべきである。

(ロ)  他面、原告も、進路前方約一一六メートル余も見透しが良好なのであるから、前方を十分に注視して進行していれば、夙にバスが右折合図の腕木を上げて交差点に入るのが発見できた筈であり、特に、交差点の東方約六九メートル余の地点に差しかかつた際は、バスが交差点で序々に波除方面に向けて右折している状態が看取された筈であり、さすれば、警笛を吹鳴してバスに自車の直進中であることの警告を与え、或いは、場合によつてはバスの動向に応じて減速若くは徐行し、或いは、進路を左右いずれかに変えて衝突を避け得る術もあつた筈であるのに、前示オートバイの走行経路と衝突地点及びスリツプ痕に鑑みると原告は前方注意義務を怠り、衝突寸前に至つて漸くバスの存在に気付いたものと推認されるから原告にも本件事故責任の一端があるものと言わなければならない。

(ハ)  ここで問題となるのは、当事者双方が論争しているごとく、事故発生当時施行されていた昭和四六年改正前の道路交通法第三七条、第四二条と被告石川がオートバイを発見した時点におけるバスの右折優先通行権の有無である。被告石川が右折を開始した時点におけるバスの右側前車輪の外側と東西道路の南側に沿つて設置されている歩道の北縁との距離が約五・四〇メートルで、それより更に約四・〇〇メートル右折前進した時点における前示距離が約四・〇〇メートルであることは先に認定したところであるから、この事実に照らすとオートバイを発見した時点におけるバスの位置は東西道路の西進路線(但しセンターラインの表示はないが)に約〇・五〇メートル進出した地点にあつて、その右折角度は概ね三〇度程度と推計されるので、バスは未だもつて前示第三七条第二項所定の右折優先通行権を取得する域に達していなかつたものと看られる。

ところで、車両の運転に際しては交通安全確保の大原則に則つて常に前方注視の義務があるのであつて、対向車の違法所為の有無によつて前方注視義務に消長をきたすものでないことは条理上明白である。されば、前示第三七条、第四二条が原告主張のごとく理解されるとしても、オートバイが直進車なるが故にそれを運転する原告の前方注視義務が免ぜられることとはならないものであり、注意義務の懈怠が事故発生の一因をなし、或いは、被害を拡大する役割を演ずれば、原告も事故責任の一端を負うべきである。

(三)  本件事故の発生は、前項の(イ)、(ロ)において説示したように、被告石川の過失に負うところ大であることは言うまでもないが、他面、原告の前方注視義務懈怠も事故発生の一因をなしているので、本件事故は被告石川の過失八〇パーセントと原告の過失二〇パーセントが競合して生じたものと看るのが相当である。

三  賠償責任

(一)  被告石川は原告に対する直接の加害者として民法第七〇九条に則り本件事故に因り原告の蒙つた損害額の八〇パーセントを賠償する責任がある。

(二)  被告会社が本件加害バスの保有者であることは当事者間に争いがなく、同会社がこれを運行の用に供していたことは前示認定のとおりであり、そして本件事故が同会社の従業員被告石川の運転上の過失に帰因することは前示認定のとおりであるから、被告らの主張の免責事由を逐一検討するまでもなく、被告会社は自動車損害賠償保障法第三条本文に則り原告の人身侵害に因り生じた損害額の八〇パーセントの限度において、これを被告石川と連帯して賠償する責任がある。

四  損害額

(一)  積極的損害

(イ)  医療費(入室料を含む)は金六五万〇、〇六四円と認定する。

原告が本件事故に因り蒙つた負傷を治療するため、

(1) 事故当日たる昭和四二年七月一二日より翌四三年二月一五日まで、及び同四三年三月二一日より同年八月一〇日まで石巻市所在の佐藤外科病院に入院し、

(2) 同四三年八月一二日より同四四年五月二七日まで一ケ月に二回の割合で仙台市所在の東北労災病院に通院し、併せて、

(3) 同四三年八月一二日より翌四四年九月三〇日まで三日ないし七日に一回の割合で、また同四五年二月九日より同年五月四日まで一週間に一回の割合で石巻市所在の中目整形医院に通院し、

たことは当事者間に争いのないところであるから、(1)の入院日数は三六二日、(2)の通院日数は二〇回、(3)の通院日数は五九回ないし一三六回で平均約八八回であることは計算上明らかであり、そして、〔証拠略〕に照らすと、原告主張どおり頭書記載の医療費が認定され、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(ロ)  付添看護費は金二二万七、五〇〇円と認定する。

〔証拠略〕に照らすと付添看護を要する期間は一七五日間であるから、当時の経済事情と原告本人尋問の結果を併せ考え、その費用を一日金一、三〇〇円と認めてこれを算出すれば頭書のごとく認定される。〔証拠略〕中には、概ね原告の主張に副う記載及び供述があるけれども、これらは医師が付添を要すべきものと認定した期間外の全入院期間に金一、三〇〇円を乗じて算出した机上の計算であることは証人清水則夫の証言並びに原告本人尋問の結果に徴して明らかであるから右の記載及び供述は採用しがたく、ほかに右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(ハ)  栄養費は金二万六、三九六円と認定する。

前掲〔証拠略〕中には、原告の主張に副うごとき記載及び供述があるけれども、〔証拠略〕に照らすと頭書のごとく算定されるので、右認容額を超過する部分についての右記載及び供述部分は前示同様の理由により遽に信用しがたく、ほかに原告主張の金員全額を認めるに足りる証拠はない。

(ニ)  医師、看護婦などに対する謝礼は金三万八、〇〇〇円と推認する。

右は原告本人尋問の結果と入院及び通院の各期間を勘案して推認する。

(ホ)  交通、通信費は金二万〇、八六〇円と推認する。

右は原告本人尋問の結果と入院及び通院の各期間を勘案して推認する。

(ヘ)  温泉療養費は金一万六、〇一三円と認定する。

右は〔証拠略〕を併せ考えると、原告が医師の勧めに従つて昭和四四年六月四日より同月一四日まで宮城県立の温泉療養所において療養に要した費用であることが認められ、右認定に反する証拠がない。

(ト)  雑費は金四万四、〇九五円と認定する。

右は〔証拠略〕に徴して真正に成立したものと認める第二四号証の一ないし三一の氷のう、水枕、氷、燃料、すい呑み器、便器、ちり紙、ガーゼ、洗剤、石鹸、オロナイン軟膏、シツカロール等々の支出費用として認定される。前掲〔証拠略〕中には見舞客に対する多額の接待費を要した旨の記載及び供述があるけれども、これを認めるに足りる書証がないので右の記載及び供述は容易に信用しがたく(原告は金五〇円、六〇円という小額のすい呑み器、オブラートなどを買つたときでも領収証を徴しているのに、接待に要したと称する費用については何らの領収証もない)ほかに原告主張の金員全額を認めるに足りる証拠はない。

(チ)  物損は金四万一、五七〇円と認定する。

右は、〔証拠略〕を総合して認定することができる。

その内訳は、

(1) 原告の身体に付着するズボン修理代金四、四〇〇円、腕時計修理代金二、八〇〇円、靴及びワイシヤツの損傷金三、〇〇〇円、

(2) オートバイの修理代金三万一、三七〇円、

である。

(二)  消極的損害(逸失利益)

原告が本件事故に遭つた当時満二七才三月(昭和一五年三月二九日生)の心身ともに健全な男子であり、昭和三三年三月宮城県立石巻商業高等学校を卒業して直ちに東北パルプ株式会社(現在の十条製紙株式会社)石巻工場に入社し、事故当時は同工場の第一製造部コート紙課に技術職員として勤務し、基本月給金三万一、一三〇円のほか家族手当、住宅手当等の諸手当の支給を受けていたものであり、事故後の同四四年八月二一日復職したものの最早技術方面の業務には到底たえられないところから、現在は事務職員として同工場の業務部製品課の製品倉庫係として勤務していることは当事者間に争いがなく、そして、〔証拠略〕に照らすと、原告は本件事故に因り昭和四三年八月二八日以降復職するまで休職となつていたことが認められ、右認定に反する証拠がない。而して、〔証拠略〕を総合すると、原告主張のごとく、

(イ)  休業期間中の逸失利益の損害額は金一三九万一、四三〇円と認定され(別紙第一記載参照)、また、

(ロ)  復職後より定年退職に至るまで(原告が満五五才で退職するものとして)の逸失利益の損害額は金五三〇万三、一三四円と認定される(別紙第二記載参照)。

(三)  慰藉料は金一五〇万円と認定する。

〔証拠略〕を総合すると、原告は本件事故に因り前示のごとき重傷を負い、それを治療するために長期間の入院、通院を要し、その間右下腿骨観血手術を受ける反面従前からの婚約を解消するの已むなきに至り、また漸く負傷は治癒したと言うものの右足が変形して一二級の後遺症を留め、ために長時間の佇立作業に耐えられないことはもとより、今猶ほ冬期、雨期などの天候不順の節は患部に疼痛を訴えるなど肉体的にも精神的にも多大な苦痛を嘗めたことが認められるので、これらの事状とその他諸般の事情を併せ考え原告に対する慰藉料は原告主張のとおり金一五〇万円をもつて相当と認定する。

(四)  被告の負担すべき弁護士費用は金四〇万円と認定する。

〔証拠略〕を総合すると、本件事故に基づく損害賠償問題について、原告代理人たる原告の義兄清水則夫と被告会社との間に数回に亘り交渉が重ねられたが、被告会社が金三〇〇万円程度の賠償案を提示したままその後は進展をみなかつたため、遂に原告が本訴の提起及び訴訟の進行を本件原告訴訟代理人に委任し、その着手金として金一〇万円を支払い、いわゆる成功報酬として金三〇万円を支払うことを約したことが認められ、右認定に反する証拠がない。してみると本訴の提起は被告会社の呈示した賠償案が廉額であつたことに基因すること明らかである。而して、本件事案が些か複雑であることは事実摘示のとおりであるから、その審理期間に三年六月を要し(口頭弁論期日、回数一五回)その間における原告訴訟代理人の訴訟活動が活発であつたことは本件記録に照らして明らかなところである。されば彼此の事状を勘案して、本件弁護士費用は全部被告らに負担させるのが相当である。

五  賠償額

(一)  被告石川の賠償額

前示認定のように本件事故は被告石川の過失八〇パーセントと原告の過失二〇パーセントが競合して発生したのであるから、同被告はその過失の限度において損害額を賠償すべきものである。然るときは、前項の(一)、(二)の損害額の総計金七七五万九、〇六二円の八〇パーセント、即ち金六二〇万七、二五〇円(円位未満四捨五入)が賠償額である(因みに、慰藉料及び弁護士費用は過失相殺の対象とならないことは当裁判所の見解とするところである)。

ところで、原告が本件事故による損害の補償として合計金一三〇万九、五一二円の給付を受けたことは当事者間に争いがないので、この金額を前項の金六二〇万七、二五〇円から控除すれば、残額は金四八九万七、七三八円と算定され、これに慰藉料金一五〇万円と弁護士費用金四〇万円を加算した合計金六七九万七、七三八円が被告石川の賠償額である。

(二)  被告会社の賠償額

被告会社は自動車損害賠償保障法第三条本文に基づいて、被告石川が原告の人身を傷害したことに因り生じた損害(但し、事故当時原告が着用していたズボン、ワイシヤツ、靴、腕時計を損傷した損害を含む)につき被告石川と連帯して賠償の責に任ずるが、オートバイの損傷による物的損害(本件ではその修理代金三万一、三七〇円)については右法条の解釈上被告会社の賠償責任に属しないものである。従つて、被告石川の前示賠償額から右の物損を控除した金六七七万二、六四二円(¥6,797,738-¥31,370×0.8)が被告会社の賠償額である。

(三)  次に、本件記録に照らして本訴状副本送達の日の翌日が昭和四五年七月二一日であることが認められるので、弁護士費用のうちいわゆる成功報酬金三〇万円を除くその余の金員については右日時より完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を付すべきも(弁護士費用のうち着手金一〇万円については、本件記録に添付されている原告の委任状に照らし昭和四五年七月八日授受されたものと推認される)、右の成功報酬金については、その性質上未だ授受されていないこと明白であるからこれに遅延損害金を付することはできない。

六  これを要するに、原告の本訴請求は、(一)被告両名に対し連帯して金六七七万二、六四二円及び内金六四七万二、六四二円に対する昭和四五年七月二一日より完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金、(二)被告石川に対し金二万五、〇九六円及びこれに対する右日時より完済まで右利率による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容すべきも、その余は失当であるからこれを棄却する。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 牧野進)

別紙

第一 休業期間中の逸失利益

1 原告は本件事故当時一ケ月平均下記(1)ないし(4)の給与を受けていた。

(1) 基本給 ¥31,130

(2) 家族手当 ¥2,500

(3) 住宅手当 ¥2,200

(4) その他の諸手当(連操手当、代休手当など) ¥16,882

合計 ¥52,712

2 本件事故がなければ原告の上記給与は

(イ) 昭和43.3.21のベースアツプにより

(1)は¥35,130(即ち(1)ないし(3)の合計は¥39,830)に、

従つて、

(4)の月平均は¥18,392に

(ロ) 同44.3.21のベースアツプにより

(1)は¥40,500(即ち(1)ないし(3)の合計は¥45,700)に、

従つて、

(4)の月平均は¥21,124に

それぞれ増額された筈である。

3 然るに、原告は昭和43.3.21(1)の基本給を¥33,990に増額されたに止まり、その後復職まで基本給の増額はなく、本件事故がなければ下記期間中少くとも下記給与の支給を受けることができた筈であるところ、その支給を受けることができなかつた。

(a) 42.7.13~43.1.12……(4)全部

(b) 43.1.13~43.3.20……(1)ないし(3)の二分の一及び(4)全部

(c) 43.3.21~43.7.12……同上

(d) 43.7.13~44.3.20……(1)ないし(4)全部

(e) 44.3.21~45.8.20……同上

4 これを計算すれば下記のとおりである(1ケ月25日計算)

(a) ¥16,882×6月=¥101,292

(b) 〈省略〉

〈省略〉

(c) 〈省略〉

〈省略〉

(d) 〈省略〉

(e) (¥45,700+¥21,124)×5月=¥334,120

以上合計 ¥1,149,215………(A)

5 次に、原告は本件事故がなければ賞与として下記の支給を受けることができた筈であるのに、事故に因る休業のためその支給を受けることができなかつた。

(1) 42.12支給分 ¥11,960

(2) 43.6及び12支給分 ¥150,310

(3) 44.6及び12支給分 ¥79,945

以上合計 ¥242,215…………(B)

6 よつて、上記(A)¥1,149,215+(B)¥242,215=¥1,391,430

が休業期間中の逸失利益の損害額である。

第二 復職後より定年退職時までの逸失利益

1 継続的な逸失利益 ¥4,538,248

(1) 復職時から45.12.21までの逸失利益は請求しない。

(2) 45.2.21より定年退職時(70.9.20)までの逸失利益

(イ) 原告は44.8.21復職し45.2.21基本給(月額)¥37,350に昇給したが、本件事故がなければ¥44,160の基本給(月額)で復職することができた筈であり、従つて、復職後定年退職時まで25年7ケ月間差引毎月¥6,810宛基本給の減収を余儀なくされることとなつた。ところで、勤務先会社の時間外手当は従業員平均で基本給の30%であるから、これを加えれば原告の1ケ月当りの減収は¥6,810×130%=¥8,853で、1ケ年当りの減収は¥106,236、25年7月間における減収総額は¥2,717,871となり、これをホフマン式計算法(利率年5分の中間利息控除)により計算すれば、現在価額は¥106,236×16(ホフマン係数)=¥1,699,776となる。

(ロ) 原告は勤務先会社から毎年6月と12月の2回に各平均基本給(月額)の2倍に相当する賞与の支給を受けているから、基本給の減収がなければ、下記賞与を受けるべき筈であるのに、その減収により定年退職までの25年7月間これを受けることができない。

¥6,810×2×2回×25回=¥681,000

ところで、1ケ年当りの賞与の減収は、¥6,810×2×2=¥27,240であるから、これを前記ホフマン式計算法(同上中間利息控除)により現在価額を計算すれば、¥27,240×15.9(25年のホフマン係数)=¥433,116となる。

(ハ) 原告は本件事故当時技能職であつたが、事故のため事務職に配置換を余儀なくされた。ところで原告が技能職で復職すれば昭和45.3.21における基本給(月額)のベースアツプは¥8,900であるべきであつたのが¥8,050に止まつているので、45年度の月額基本給において差引¥850の格差を生ずるに至つた。しかも、右格差と少くとも同額の格差が昭和46年以降70年度まで毎年生ずる筈である。そこで、前記(イ)記載の割合で算出すれば¥850×130%×12=¥13,260……45年度の年収減、この減収は昭和70年度まで続くと共に昭和46年度は¥13,260+¥13,260=¥26,520の年収減を生じてこれまた70年度まで続き、かくして年々¥13,260の年収減を生じて70年度まで続くこととなる。されば、その総和は25年/2(¥13,260+¥13,260×25)=¥4,309,600となるところ、計算の便宜上右金額を昭和70年の定年退職時に一時に支給されるものとみて、ホフマン式計算法(同上中間利息控除)により現在価額を計算すれば¥4,309,600×0.4444(ホフマン係数)=¥1,915,183となる。

(ニ) また上記¥850の格差が原告の毎年の賞与に影響を及ぼす賞与の減収は45年度において¥850×2×2回=¥3,400であるから、同年度から70年度までのそれは¥3,400×25=¥85,000となり、46年度は¥3,400+¥3,400=¥6,800となりこれまた70年度まで続くことになる。

されば、その総和は25年/2(¥3,400+3,400×25)=¥1,103,000となるところ、計算の便宜上右金額を昭和70年の定年退職時に一時に支給されるものとみて、ホフマン式計算法(同上中間利息控除)により現在価額を計算すれば¥1,103,000×0.4444=¥490,173となる。

以上(イ)ないし(ニ)を加算した¥4,538,248が継続的逸失利益の現在価額である。

2 定年退職時における逸失利益 ¥764,886

(1) 原告は事故に因る休業のため前記1(1)(イ)記載のとおり昭和45.2.21において¥6,810の基本給(月額)の減収を生じ、この減収は定年退職時まで続くと共に、前記1(1)(ロ)記載のとおり45年度の配置換により基本給(月額)¥850の格差を生じ、この格差と同額の格差が毎年生じて定年退職時まで続くこととなる。

ところで原告が昭和70.9.20に定年退職するとすれば、勤続年数は37年4月となりこの場合の勤務先会社の退職金は退職時基本給の51.8倍であるから、原告は退職時において(¥6,810+¥850×25年)×51.8=¥1,453,508の得べかりし利益を喪う結果となり、これをホフマン式計算法(同上中間利息控除)により現在価額を計算すれば¥1,453,508×0.4444(ホフマン係数)=¥648,938となる。

(2) また、原告は勤務先会社に対し毎月基本給の1.5%を積立て定年退職時に積立額の7.5倍を退職年金として支給されることとなつているところ、上記¥6,810と¥850の減収のため、この積立金は定年退職時において下記の金額だけ少くなる。即ち、

¥6,810×1.5%×12回×25年=¥30,645

2/25(¥850+¥850×25)×1.5%=¥4,143

合計 ¥34,788

されば、原告の退職年金の減収は¥34,788×7.5=¥260,910となり、これをホフマン式計算法(同上中間利息控除)により現在価額を計算すれば、

¥260,910×0.4444=¥115,948となる。

以上(1)、(2)を加算した¥764,886が定年退職時における逸失利益の現在価額である。

3 復職後より定年退職時までの逸失利益の現在価額は上記1、2の合計¥5,303,134である。

(以上)

略図

〈省略〉

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